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環境心理学で考える

環境心理学で考える 第18回

2011年8月19日

判断について(2):空間行動


日本大学文理学部教授 羽生 和紀


 前回(第17回)で、合理性とはなにかという議論をめぐり、人間の判断や行動は偶発的でも、まったくの行き当たりばったりでもないが、多くの場合には最適でもないという話をした。


 それでは、実際に人はどのようにして判断をしているのだろうか。人の判断には複数のメカニズムが働いていると考えられている。それは、1)感情・情動が主導するもの、2)ヒューリスティックによるもの、そして3)いわゆる熟慮の末の判断である。


 このうち、感情・情動に主導される判断は、状況に対した時にほぼ瞬時になされる、快-不快にもとづく決定のことである。また、ヒューリスティックとはある種のプログラム化された簡便な判断のことである。こうした、情動主導の判断やヒューリスティックによる判断は必ずしも最適な判断を導くわけではないが、処理が速くかかる労力も小さいため、日常の中での多くの判断はこうした形で行われている。実際、ほとんどの場合には、こうした判断は最適ではなくとも特に大きな問題を引き起こすこともない。しかし、こうしたことで生じるちょっとした不合理の積み重ねは、全体として不具合を引き起こすこともある。


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 左の写真は、混雑することで有名な路線の朝の風景である。ホームに到着した列車から降りた乗客が階段に殺到し、長い行列を作っている。右の写真は、実はまったく同じ時間の、左の階段の裏側にある階段の様子である。わずか、10m程度先に進めば、混雑のない快適に昇れる階段があるにもかかわらず、ほとんどの乗客は、目の前にある混んだ階段に向かってしまう。


 たしかに、視界にない階段の存在を思い出し、そちらへの経路を選択するということは、目の前の階段を上るよりはメンタルな労力、および、10mの移動距離の増加が必要なことではあるが、その負担は非常に小さいだろう。しかし、そうした小さな違いが、つまりほんの少し楽したいということが、こうした混乱を生み出してしまうのだ。確かに、人は合理的とは言い難い存在のように思えることがある。


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