環境心理学で考える
環境心理学で考える 第13回
2011年2月25日
環境における快とは
日本大学文理学部教授 羽生 和紀
初夏の朝のすがすがしいさや寒い冬の中に訪れた小春日和の日に感じる心地よさのように、環境は明らかに快の感情を引き起こすことがある。しかし、環境がもたらす快は持続しないことが特徴である。美しいホテルのロビーや高級なインテリアのレストランを訪れた場合、人はその素晴らしさに感動し、気分は高揚するだろう。しかし、20分もすればその感動は薄れていく。いやそれどころか、環境に対する関心そのものが失われ、環境という要素を意識すること自体がなくなってしまうだろう。
これは環境をデザインする者には残念なことだが、人間の持つ心的機能としては当たり前のことであり、次のような理由から、環境からの快の経験は持続しないのである。快をもたらす環境というのは、人に害を与えない環境である。逆に言えば、人は害のない環境、害をもたらさない環境を好ましいと感じるのである。しかしながら、人の外界からもたらされる情報を処理する能力には一定の容量、つまり限界がある。したがって、この環境のもたらしてくれる好ましい経験をいつまでも味わい続けることは、他の情報に対する処理がおろそかになるということを意味している。つまり、現在自分を取り巻いている環境を好ましく感じるということは、同時にその環境が無害であることを意味しており、無害であることが理解されてしまえば、それ以上環境に関する情報の検索や処理をするよりも、他の刺激や情報に対して注意を向け処理をしたほうが、他の危険にす早く気づき、対応できる可能性が高まるのである。このように、無害な、快をもたらす環境に対する意識は時間とともに速やかに意識されなくなってしまうのである。逆に意識され続ける環境というのは、危険や不快なネガティブな要素が存在し、意識し続けることが必要な状況に限られる。こうしたメカニズムは、原始人類の進化の過程において決定的な重要性から獲得されてきたものであるが、現在の人類においてもなお機能している心的なプログラムである。
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したがって、環境のデザインにおいては、ネガティブな要素を取り除き、快適な環境を作り出すということに目標を置くほうがいろいろな意味で効率的、効果的であるということになる。やはり環境とは背景であり舞台であり、それが目立たない、意識されないということは、望ましい状態なのである。そして、主人公はやはりあくまでも人間なのである。











