環境心理学で考える
環境心理学で考える 第8回
2010年9月17日
コモンズの悲劇と都市景観
日本大学文理学部教授 羽生 和紀
ロイドという経済学者が考えた「コモンズの悲劇」という寓話がある。コモンズとはイギリスの村落にある共有地のことである、このお話では、コモンズで村民はそれぞれ羊を飼育していたとする。ある日、ひとりの村人が自分の羊を1頭だけ増やそうと思った。そうすれば、彼の収穫は増えるし、たかが1頭の羊を増やすことは何も問題もないと思った。実際、羊を1頭増やしてみたところ、彼の利益は増加したし、何も問題は起こらなかった。同じことを考えた他の村人も、それぞれ1頭ずつ羊を増やした。しかし、コモンズには、村人の人数の分だけ増えた羊を養うだけの十分な広さはなく、草は食べつくされ、その結果、村人は全員とも羊を1頭も飼えなくなってしまった。
いうまでもなく、この寓話の意味していることは、「個人が小さな利己的な行動をとった場合でも、多くの人が同じ行動を行った場合には、破滅的な結果をもたらすことがある」ということである。
この用語をタイトルに使った論文を生態学者のギャレット・ハーディンが『サイエンス』誌に発表して以来、この寓話はさまざまな領域で認識されるようになった。環境心理学に関係することでは、環境配慮行動(いわゆる「地球にやさしい行動」)に関する研究でしばしば引用されてきた。つまり、地球の持つ限られた資源、あるいは地球そのものをコモンズと考え、個人の小さな行動が、全体としての悲劇的な結末をもたらすか、持続可能な未来をもたらすかの重要な決定の役割を果たすことが議論されてきた。
環境美学(環境に対する情動的な成文を含む反応の研究)に関する指導的な役割を果たしている環境心理学者のジャック・ナサーは、都市の景観にもコモンズの悲劇があると主張している。ナサーは次のように言っている。アメリカの典型的な都市は、さまざまな様式のビルが立ち並び、看板や広告があふれている。一つ一つのビルや看板は、建築家やデザイナーが創意を尽くした、素晴らしいものなのかもしれない。しかし、全体として見た場合には、平凡で退屈な景観を生み出してしまう。つまり、全体を考えない、部分ごとのデザインや表現の追及が、全体としては調和のない質の低い景観を作り出してしまうのである。
このような都市景観のコモンズの悲劇はアメリカに限ったことではなく、日本においても存在する。いやむしろ、日本においてはさらに深刻であるといえる。アメリカにおいては、都市景観のコモンズの悲劇は個性のない退屈な景観を生み出すにとどまっているが、日本においては、部分のデザインの追及に歯止めがなく、全体の不調和の程度はアメリカの比ではない。日本の都市景観のコモンズの悲劇は、混沌と不快のレベルに達している場所も少なくない。
日本の建築と工業・商業デザインのレベルは世界でも有数の優秀さにあるにもかかわらず、都市景観は世界でも最低レベルであるのは、全体の調和ということを、個人が考慮する程度が極めて低いということも一因だと考えられる(もちろん他の原因もいくつも思いつくけれど)。こうしたことを考慮させるためには、一つは制度を整備することであるし、それも望まれていることである。しかし、同時に、個人の意思決定の積み重ねが、全体としてのすぐれた景観を作り出すのだという「意識」を持つことも重要なのではないだろうか。











