行動観察研究所

行動観察研究所ブログ

2015年3月31日(火)

Wicked Problem: 新たな仮説に基づいて動き、成果が出なければすべては無駄なのか?

松波の気づき

松波 晴人

新年度がスタートする。
どの企業も組織も、前の年度を振りかえって様々な検討を行い、新しい年度の方向性や戦略を考えた上で発表がなされたことと思う。

さて、今、あなたが以下の質問を投げかけられたら、どう答えるだろうか?

Q: 業績が伸びず、「何をどうすればよいのか」が分からない状態が続いている。そこで、これまでとは違う新たな仮説をたて、その仮説に基づいて新たな施策にチャレンジしてみた。その施策に人材や時間を投じて1年間頑張ってみたが、残念ながら成果を出すことはできなかった。まるでスゴロクの「ふりだしに戻る」のように、1年前にいた場所(何をどうすればよいのかがわからない状態)に再び戻ってくることになった。

この事態を、あなたはどうとらえるだろうか?

「1年間の投資がムダになってしまった。人員も時間も限られる苦しい中でチャレンジしているのに、ふりだしに戻ることになってしまうぐらいなら、無茶なことなどせずに着実なことに投資しておけばよかった。」といった風にとらえる、という方に、そして「そうとらえる人が組織の中に多い」という方に、ぜひこの後の解説を読んでいただきたい。

Wicked Problemという言葉を最近耳にした人は多いと思う。まだ定着した日本語訳はないが、現状では「厄介な問題」と訳されることが多いようだ。Wicked Problemは、「問題には3種類ある」という考え方に基づいている。すなわち、「Simple Problem」「Complex Problem」、そして「Wicked Problem」である。それぞれを解説しよう。

「Simple Problem」とは、課題もソリューションも明確で、解くことが容易な「問題」である。たとえば、あなたがNASAに勤めていて、有人ロケットの開発に携わっているとしよう。「このインターフェースの操作方法が分からないんだけど」と宇宙飛行士から言われれば、「操作方法をまとめたマニュアル」を作ればよい。課題もソリューションも明快なこの問題は「Simple Problem」である。

「Complex Problem」とは、課題もソリューションも明確ではなく、解くことが困難な「問題」である。たとえば、「有人ロケットを、どのようにして月に送ればいいだろうか?」は「Complex Problem」である。誰も成し遂げたことのない「有人ロケットを月に送る」ことを実現しようとすれば、そもそもどういう課題があるのか、課題の定義から考えなければならないし、定義したそれぞれの課題に対して適切なソリューションを考えなければならない。このような複雑な問題を解くためには、かなり頭を使わなければならないだろう。ただ、時間をかけて取り組めば、「何が課題なのか」と「ソリューションはどうすればいいか」は見えてくるし、そのソリューションはその後も有効性を保つことができる。

「Wicked Problem」とは、課題もソリューションも明確ではない上に、そもそも「何が問題なのか」を定義することが困難な「問題」である。たとえば、「NASAは今後どういう方向性に進むべきか?」は「Wicked Problem」である。

Wicked Problemには、以下のような特徴がある。
「それぞれ個別でユニークな問題である」
「どうすればよい、という正解が存在しない」
「問題の原因が複雑に絡み合っている」
「ステークホルダーの数が多いため、“すべての人が満足する”ということはありえない」
「どのような取り組みを行っても、新たな問題が生じることは避けられない」

子育てに例えると、より分かりやすいかもしれない。
 「Simple Problem」=子供が泣いているからミルクをあげよう
 「Complex Problem」=子供を安全に育てるにはどうすればいいだろう
 「Wicked Problem」=子供をどういう人間に育てればいいだろう

「子どもを、どういう人間に育てればいいだろう?」という問題には、誰もが納得するような「正解」はない。母親と父親で意見が合わないかもしれないし、祖父や祖母はさらに違う意見を持っているかもしれない。また、「これが正解だろう」と方向性を決めたとしても、時間が経つにつれて世の中の情勢が変わり、正解らしきものは変わっていく。一昔前に「良い学校に入れれば、よい会社に入ることができて…」が正しいと考えられていたとしても、今では必ずしもそれが正しいとは言えない。そして、個々人に合わせて考えていく必要がある。これが「問題の定義が困難」である理由である。

同じように、「NASAは今後どういう方向性に進むべきか?」もWicked problemである。みなさんが自組織で議論する「自社はどういう価値を提供すべきか?」「自社はどの方向性に進むべきか?」も、もちろんWicked problemである。

現状の様々な企業・組織がかかえる問題は、この「Wicked problem」を、「Complex problem」としてとらえて解こうとすることから起こっているのではないだろうか?

たとえば、「自社はどういう価値を提供すべきか?」というWicked problemを、Complex problemとしてとらえて解決しようとすると、こういう議論をすることになる。
「本当にそれが本質的な課題なのか?その根拠はどこにあるのか?」
「そのソリューションは前例のない案だ。それでうまくいく、という根拠はどこにあるのか?」
「根拠を示せないのであれば、リスクが大きすぎる。もっと確実な案はないか?」
「そのソリューションは、欠点だらけだ。たとえば…」

「自社はどういう価値を提供すべきか?」という問いを、「有人ロケットを、どのようにして月に送ればいいだろうか?」と同じ種類の問題だととらえれば、「(ロケットが墜落するといった)失敗」は許されないし、「時間と人をかけてふりだしに戻ること」は無駄でしかない。「有効性を保つことができる、なんらかの正しい方策」がどこかに存在する、という枠組みで考えると、もちろん、そういう解釈をすることになるだろう。

つまり、本稿の最初の問いに対して、「ふりだしに戻ること=無駄」と考えるのは、Wicked problemを、Complex problemととらえていることを意味する。そうなると、ほぼ100点満点の確実なソリューションが得られるまでは、アクションを起こす(ロケットを飛ばす)ことはできない。しかし、そういう議論をしている間に、「子ども」はどんどん育っていく。100点満点の答えがないからといって、「何もしない」のはあってはならないことである。

では我々を取り巻くWicked problemに対処するためにはどうすればいいのだろうか?当たり前のことであるが、まずは我々が問われている問題がWicked problemである、ということを認識する必要がある。まず、Wicked problemには「正解は無い」ことを理解しなければならない。また、どのような取り組みを行っても、新たな問題が生じることは避けられないことを覚悟しなければならない。そして、リスクを取らなければいつまでたっても動き出すことができず、結局はじりじりと後退してしまうことを分かっておく必要がある。

「子どもを、どういう人間に育てればいいだろう?」という問題に取り組むために重要なのは、「あなたは子供をどういう人間に育てたいか?」という問いへの答え、すなわち自分の“意志”である。「自社はどういう価値を提供すべきか?」も、まずは自社の“意志”がはっきりしていなければ、どういう価値を提供していくのかを決めることができない。

そうなってくると、説明責任の所在が変わってくる。
「本当にそれが本質的な課題なのか?その根拠はどこにあるのか?」
という先述の質問は、提案者側(通常はスタッフ)から上層部に対して説明責任があることを示している。
しかし、“自社の意志”については、説明責任は上層部にある。
「自社はどういう価値を提供すべきか?」という問題を議論するときに、スタッフ側から上層部に
「あなたは自社を、どういう価値を提供する会社にしようとお考えですか?」
「どういった価値を大事にしていきたいですか?」
と問いかけがあったときに、上層部は説明責任を果たすべく、しっかりと答える必要がある。

Wicked problemについて議論しているときに、
「本当にそれが本質的な課題なのか?その根拠はどこにあるのか?」
「そのソリューションは前例のない案だ。それでうまくいく、という根拠はどこにあるのか?」
と問われて、すべてをロジカルに証明するのは、「生身の人間」には不可能である。Wicked problemには正解が存在しないのにもかかわらず、正解を出そうとすることは不可能である。それができるのは「神」だけである。当たり前ながら、社員も上層部も「神」ではない。

手塚治虫の作品「ブラック・ジャック」の「獅子面病」というエピソードに、こういうシーンがあった。難病の患者を前にして、手術をしても無駄だ、と他の医師たちが言う中、ブラック・ジャックは手術の実施を決意する。
ブラック・ジャック「なぜそうやると助かるのか私にもわからないのだが、この方法で3人は治り、2人は死んだ」
他の医者「すると、カケだな?」
ブラック・ジャック「まあ、カケでしょうね」
他の医者「患者の命を生かすか殺すか、カケるとは許せんっ」
ブラック・ジャック「じゃああなたがたはカケてはいないのかっ あなたがたはいつも患者が必ず治ると保障して治療をしているのですかっ
そんな保障のできるものは神しかいないっ…われわれは神じゃない、人間なんだ!!…人間が人間の身体を治すのは…カケるしかないでしょう…?」

ブラック・ジャックが手術をして、それが失敗に終わったとしたときに、「やるだけ無駄だったんだよ」と言えるのは、「無責任な評論家」の発想である。我々は「評論家」なのだろうか?それとも「当事者」だろうか?

Wicked problemに対処する上では、「いろいろやってみたけど、ふりだしに戻った」を後悔しているようでは、「正解が出るまで動かない」という枠組みにとらわれて身動きが取れなくなってしまう。たとえふりだしに戻ろうと、それは無駄ではないのである。

「彼女/彼氏を作りたいと思い、様々な努力と挑戦を続ける人」と
「彼女/彼氏を作りたいと思いながらも、フラれるくらいならアタックしないでおく人」の、
どちらが今後パートナーを見つけるのに成功するか、を考えてみてほしい。

対処しなければならないWicked problemが膨大にある中、成功できるかどうかは、「無駄なことをしない」ことではなく、「たとえふりだしに戻ることがあったとしても、意志をはっきりと持ち、チャレンジし続けることができるか」にかかっている、と私は考える。

Wicked problemは、「意志と行動の問題」と訳すのが適切かもしれない。

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